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三中1977年卒同窓会サイトのブログです。
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416f2fab.jpeg平城遷都1300年に賑わう平城宮跡。
第二阪奈道路の中野ランプを下りた所にある奈良西駐車場からシャトルバスで20分かけて会場入りです。パーク&バスライドと言うそうです。

予想していたこととはいえ、朱雀門から大極殿へ向かう人の波・波・波。
有料の各資料館や有料イベントは整理券が配布され、私たちが到着した午前10時前には既にこの日の分はほとんどが満員・完売。
しゃあないので整理券なしで無料で入れる大極殿(写真)の列に並びました。
最後尾の表示は1時間待ちでしたが、数十分で内部を見学できました。

それにしても、何万人入っているのかわかりませんが、とにかくだだっ広い会場なので、何もせずに会場入りするだけならキャパシティはまだまだ余裕たっぷりです。
食事やトイレ、土産物店などは大混雑でしたけどね。

1200年以上前の奈良時代、聖武天皇の勅命で僧行基が水間観音を開く際に清児にやってきたことで今の「清児」の地名がつきました。
(詳しくはこちらhttp://www.rinku.zaq.ne.jp/bkasc607/omosechi/chigotuka/chigotuka.htm

その聖武天皇が政権を治めていた都がこの平城京(実際には恭仁宮や難波宮など転々と遷都して再度平城京へ戻ってますが)で、少なからず清児にも縁のある場所です。

西に西大寺、東に奈良公園や東大寺を配置し、この平城宮を中心とした広大な平城京ですが、復元された朱雀門や大極殿を見ただけでも、当時の天皇がどんだけ権力と財力を持ってたん?と考えてしまいます。

加えて、こんだけの大事業にも関わらず、数年から数十年で転々と都を移すなんてねぇ。
叛乱や疫病の流行もあって、政情が不安定な時代背景があったとはいえ、無駄遣いにもほどがある!

私の歴史観はちょっと歪んでるかな?


 


 

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1977年春に三中卒業後もずっと地元に住み続けています。
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