三中1977年卒同窓会サイトのブログです。
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明日は衆議院議員選挙。
政権交代が争点ですが、前回の郵政選挙の際にも我が社はええように振り回され、今回もし政権交代が実現すれば、またまた組織編成そのものを見直されることになりそうです。 正直なとこ、仕事が政治にかき回されるのはうんざりですわ・・・。 国政選挙・地方選挙にかかわらず、毎回選挙前になると連絡をくれる高校時代のクラブ(放送部)の同級生がいます。 今回も先ほど電話をいただいたのですが、彼女から連絡があるたびに、ほかの部活仲間の近況も聞けて、プチ同窓会気分です。 高校時代を懐かしんで、インターネットを検索していると、「放送コンテスト大阪大会のあゆみ」という第50回NHK杯全国高校放送コンテスト大阪大会の記念誌にヒットしました。 私が貝塚南高校放送部員として参加していた時代は第24~26回大会。 残念ながら私の現役時代は全国大会へは進めませんでしたが、先輩の代ではラジオ番組部門で、後輩の代ではアナウンス部門で全国大会に進出していて、大阪大会では上位校の常連で、大阪府下では少しは名の知れたクラブでした。 前出の記念誌には、大阪府立高等学校視聴覚教育研究会副会長で大阪市立住吉商業高校の石井校長による当時を振り返った記事が掲載されています。 その中で、第25回大会(S53年)頃を放送コンテストが活力を持っていた時代と評されています。 また、当時の大阪大会で毎年活躍する常連放送部18校の中に貝塚南高校放送部をあげていただき、どの放送部もそれぞれ一時代を画した印象深い放送部とコメントされていました。 いやあ、30年以上前のことですが、嬉しいもんですね。 以前にも書き込んだかと思いますが、当時はヤンタン、ヤンリク、オールナイトニッッポンなどのラジオの深夜放送の全盛期、ステレオコンポの音響機器も一大ブームで、私が入部した当時の貝塚南放送部は3学年で50人近い大所帯でした。 ほとんどがアナウンス志望の女子で、私を含めて10人に満たない男子は番組制作や放送機器に携わる技術系中心でした。 実績もある人気クラブでしたから、入部の届け出をしても、即許可が出るわけでなく、先輩との面談でふるいにかけられます。 人材が少ないのに男子には次の2点が条件でした。 部活は毎日フル参加でよほどの事情がないかぎり欠席は認めない。 昼休みも毎日放送があるので食事時間なし(毎日昼食抜き)。 部活は毎日、朝8時15分頃からポールモーリア等のイージーリスニングをBGMに校内の出来事や他のクラブの活躍の模様を伝える「モーニングキャスター」の校内放送で始まります。 昼休みはディスクジョッキーで、音楽ジャンルによって曜日別に番組編成され、生徒からのリクエスト曲も受け付けていました。 放課後は全体での発生練習に始って、その後はアナウンスや技術等の各担当に分かれての活動。 一日の終わりは、17時からの下校放送です。 テスト期間以外は毎日欠かさずこのパターンで、夏休み、春休み、冬休みには、体力づくりのランニングや校外にでかけての生録、ラジオ番組作り等で、学校の開いている日は1年中休みなし。 文化部ですが、体質は体育会系のノリでした。 年間活動の中心にあったのがNHK放送コンテスト出場で、さながら全国大会会場であった東京のNHKホールがこの世界の甲子園みたいなもんでした。私立の強豪校をライバル視したりしてね。 お盆と年末年始くらいかなあ、休みやったのは・・・。 それでも充実した毎日で、ええ思い出です。 今やラジオのDJも死語の世界。 大きなステレオコンポも粗大ごみ。 時代を感じさせますね。 今でも少人数ながら、母校後輩たちは放送部の看板を受け継いでくれているようです。 PR ![]() ![]() |
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プロフィール
HN:
TARA-1
年齢:
63
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性別:
男性
誕生日:
1961/11/30
職業:
会社員
趣味:
バイク、稲作、同窓会のお手伝い
自己紹介:
1977年春に三中卒業後もずっと地元に住み続けています。
3人の愛娘も三中卒業生です。
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