三中1977年卒同窓会サイトのブログです。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 しまなみ海道の西側、瀬戸内に浮かぶ大久野島全体が休暇村で、支配人が私たち夫婦共通の高校の先輩です。 ここ大久野島には昭和8年頃から終戦の20年まで、旧日本陸軍の毒ガス製造工場がありました。 写真下は、巨大な毒ガス貯蔵庫跡です。 毒ガス兵器は当時も国際的に禁止されていたため、この島の存在すらトップシークレットで、当時は地図にものっていなかった「地図にない島」です。 戦後、本土の方が離した数羽のウサギが野生化し、今では数百羽はいるであろうウサギの楽園です。 私たちが初めてこの島を訪れたのは15年前で、今回で3回目です。 修学旅行の宿泊地として、大阪からやってくる小学校も多いと聞きます。 この島に渡るには、本土側の忠海港から客船又はフェリーで約12分。 島内だけでなく、忠海も含めて、随分とゆっくり時間が流れているようです。 まるで時間が止まったかのような錯覚に陥る気がします。 長期滞在されているお客さんも多く、中にはほとんど住人と言えるような方もいらっしゃるとか。 帰りたくなくなる気持ちは、ようわかりますわ。 一時だけでも、そんな空間に身を置くことで、心身ともにリフレッシュしたような気がします。 PR ![]() ![]() |
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プロフィール
HN:
TARA-1
年齢:
63
HP:
性別:
男性
誕生日:
1961/11/30
職業:
会社員
趣味:
バイク、稲作、同窓会のお手伝い
自己紹介:
1977年春に三中卒業後もずっと地元に住み続けています。
3人の愛娘も三中卒業生です。
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