三中1977年卒同窓会サイトのブログです。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 大阪市周辺のだんじり祭りでは、一番の賑わいを見せるのが杭全神社で、9台の地車が集まります。 昨夜は宵々宮で、片側2車線の南港通を4車線とも完全封鎖。沿道はギッシリと見物客で埋まっているのですが、何故かテキヤさんは皆無です。 泉州だんじり祭りのルーツとも言われる大阪のだんじりですが、上地車と下地車、夏祭りと秋祭り、夜と昼、あらゆる面で我々の常識と違う祭りです。 地車本体を見ると、上地車でしかも後梃子はありません。担い棒で方向転換します。 ブレーキはありませんが、下地車でいう前梃子は前後に備えているようで、前進でも後退でも急停止します。 曳き綱は昼間のこども用で、メインの夜は曳き綱なし、基本は担い棒を押して曳行します。 曳き手(押し手?)たちは、実際に曳行の原動力となっているのは地車周りの10人足らずでしょう。 主屋根と小屋根には金髪や赤毛のスリムなイケメン5~6人、地車の前後にも2人ずつが乗り込み、曳行中は囃子に合わせて踊ります。 ここまでがいわゆる青年団でしょうか?地車周りの取り巻きを含めても平均して50人くらい? 圧巻は、地車の後ろに続く法被姿の婦女子たち! 地区によって差はありますが、多い地区では優に100人超!! 法被に地下足袋の見慣れた祭り装束ですが、扇子片手に囃子に合わせて踊りながら一団となって地車を追いかけます。(まるでマハラジャのお立ち台?) 実に統率が取れているうえに、青年団顔負けのパワフルさです。 ある意味この娘たちがこの祭りの主役なのかも知れません。 ほとんどが高校生かと見受けられますが、小中学生らしき子もチラホラ。中にはどうみてもアラフォー世代という法被姿のマダムも混ざってますが、娘の監視役といったところでしょうか? 47年間、地車祭りといえば、泉州の片田舎の遣り回しを中心とした祭りしか知りませんでしたが、すげえカルチャーショックでした。 平野郷のド派手で楽しそうな地車祭りと比べると、我々の祭りはケガ人続出、建造物破損、曳き手はまるで苦行難行のような・・・。 それでもやっぱり、地元の祭りが一番ええのには違いありませんが。 PR ![]()
地車祭り
こんにちわ!平野に行って来たようですね。わたくし高専の頃の友人に大阪の友として工業科に多くいましたので、祭りにヨバレて体感したのを思い出しましたが、やっぱり地元の祭りが最高ですよ、訳有り迷惑をかけんように参加してませんでしたが、少しで同級の役も終わりますので、観にでる事も出来たらなぁ~ っと思いますが、あっ!そうそう、19・20の連日に岸和田地車記念会館で、ミニ地車の展示会がありますので、時間があれば覗いてみるのもイイかもしれないですよ。 見事なミニ地車がズラリと展示されます。昨年参加させていただいて感動いたしました。
19・20は・・・
おおっ、やんたさん連日の書き込みですね!
明日19日は、町内でご不幸があり午前中は葬儀参列。 午後からはコスモスシアターで大フィルの南海コンサート鑑賞。 夜は7町同級生地車運営委員等の親睦会。 20日は、母の古希祝いに親族一同で神戸方面へ日帰り旅行の予定です。 そういえば、昨年だんじり会館に行った際に、1階ロビーには本職の地車大工さんが製作されたミニ地車が展示されていました。 彫物や組物は別として、ミニサイズとはいえ、基本的なパーツ構成は本物と変わりないでしょうから、手間暇はたいへんなものでしょう。 ちょっとマネできないです。 ![]() |
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プロフィール
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TARA-1
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63
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性別:
男性
誕生日:
1961/11/30
職業:
会社員
趣味:
バイク、稲作、同窓会のお手伝い
自己紹介:
1977年春に三中卒業後もずっと地元に住み続けています。
3人の愛娘も三中卒業生です。
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