三中1977年卒同窓会サイトのブログです。
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かつて、三中で教鞭をとり、私たちが中学3年に進級する際に、新設開校した四中に転勤された名越のM先生。
私たちが三中在校当時の担当教科は「技術」でしたから、女子には馴染みが薄いかもしれません。 恒例行事の週末のウォーキングで水間観音に行った帰り道、旧水間街道沿いのご自宅の前を通ると、玄関前には小さな自転車が何台も並んでおり、習字道具を持った小学生くらいの子どもたちが出入りする姿を見かけます。 私もこの子どもたちと同じように、小1から高3まで12年間、M先生に習字を習っていました。 そんなM先生のご自宅前を通る際には、「子どもらが習字道具持って出入りしているけど、まさかまだM先生が現役で教えてるわけないでなあ。80歳は超えてるやろう。」ってなことを清児の同級生の間で噂してました。 ところが、ふとした偶然の出来事から、40年前と変わらず今でもM先生が子どもたちに書道を教えていることを知り、しかも「ただいっちゃんに顔を出すように言うといて。」とおっしゃってらしたとか! 縁とは不思議なもので、私の妻も四中の書道部でM先生の指導を受けており、夫婦してM先生の教え子です。 思い切って今日の午後、二人でM先生のご自宅を訪問させていただいた次第です。 御年82歳、奥様とお二人、快く私たちを迎えてくださり、2時間近くも色々なお話を聞かせてくださいました。 今日、初めて知ったのですが、私がM先生の書道教室の生徒第1号だそうで、言わば一番弟子。 40年以上も書道教室を続けてこられて、最盛期には子どもから大人まで100人以上の生徒を持っておられたそうです。 今では弟子たちの中にも師範の資格を持って書道教室を開いている方も数名いらっしゃり、M先生ご自身は週に3回合わせて40人ほどの生徒を教えられておられるそうです。 M先生曰く「看板を上げている訳でなく、広告宣伝もしていないのにこうして生徒が集まって、長年続いてこられたのは、ただいっちゃんらが最初に習いに来てくれたおかげやで。」とおっしゃってくださりました。 当時の私は書に対する向上心は皆無で、惰性で続いた12年間でしたので、恥ずかしながらM先生と奥様には合わせる顔がありませんでした。 そうそう、清児の大工方の法被の背中に書かれた「せちご」のデザイン文字。清児で書道教室を開かれているYさんの作と聞いていますが、そのYさんもM先生のお弟子さんだとか。 当時、法被の文字柄を決めるにあたってYさんはいくつかの作品を持ち込み、M先生が採用作品決定の助言をされたそうです。 今日は傘寿を超えたM先生ご夫妻にたくさんの元気をいただきました。 週3回の書道教室と、週2回の病院通いが今のライフサイクルだそうですが、M先生に書道を習いたいという子どもがいる限り、いつまでもお元気でご活躍されることを願います。 PR ![]() ![]() |
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プロフィール
HN:
TARA-1
年齢:
63
HP:
性別:
男性
誕生日:
1961/11/30
職業:
会社員
趣味:
バイク、稲作、同窓会のお手伝い
自己紹介:
1977年春に三中卒業後もずっと地元に住み続けています。
3人の愛娘も三中卒業生です。
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