三中1977年卒同窓会サイトのブログです。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 昨日は清児のお寺(明圓寺・清児幼稚園の隣)の壮年会総会がありました。 PR
昨日(3/11)午後2時46分、揺れました。
私の現在の職場は、関西国際空港島内の国際貨物地区にあるビルの5階です。 ゆ~ら、ゆ~らと大きな横揺れが数十秒続き、机や柱に寄りかからないと立っていられませんでした。 船に乗って波に揺られていたかのようで、揺れが収まった後も船酔いしたようで気持ち悪かったです。 こりゃあえらいこっちゃ、震源地はどこやろう、和歌山か?神戸か?かなり近いはず! それがまさかの宮城県沖! ニュースでは本土側の貝塚も震度3となっていましたが、たいしたことはなかったようで、妻は揺れたことも気づかなかったようです。 次女の大学入試で先月の前期試験結果がだめだったので、今日(3/12)の後期試験受験のため、またまた昨夜から鳴門で前泊していました。 昨夕の出発時点で徳島県下には大津波警報発令! ですが、大学側は予定どおり試験を決行するとのこと。 不安はあるものの、行かなしゃあない。 この時点では東北や関東の詳しい被災状況はまだ報道されておらず、娘と二人、車で清児を立ちました。 道中の車のラジオからは津波予報が次々と発表されるものの、被害の様子は不明。 最寄りのインターチェンジである鳴門北は高波の警戒で閉鎖されていました。 やむなく、ひとつ先の鳴門インターまで走って、市内に引き返し夜10時前に無事にホテルに到着。 ホテルの部屋に入ってテレビをつけるとビックリ!! 「鳴門市に避難勧告」のテロップがながれているではありませんか! といってもなすすべもなく、ホテル側からの指示もないし、我々と同じような受験生とその家族60人の宿泊客はそのまま朝を待つしかありません。 その頃には、東北太平洋岸の尋常ではない津波の被害が次々と報道されはじめて、テレビ画面に釘付けになりながら、不安な一夜を過ごしました。 今朝、無事に試験も終わり、昼には無事に帰宅できてヤレヤレですが、気分的には娘の入試どころではありません。 東北は、一日も早くこの惨状から復興しなければなりません。 なんかできることはないのか、みんなで支援の輪を広げましょう! 鳴門のヘンピな場所にある大学で、遅刻のリスクを避けるために大学側も前泊することを推奨しています。 試験が終わるまでの約5時間、暇なので妻と二人で高松まで足を伸ばして栗林公園を訪ねました。 紅梅・白梅が満開でそれはそれはいい香り。 栗林公園は今回が初めてだったのですが、400年以上前の戦国時代からこの公園が維持されているとは、驚きです。 昼食は定番の讃岐うどん。 セルフで湯がいて、野菜のジャンボかき揚げをトッピング。おにぎりや巻き寿司もつけて二人で1,050円也。 貝塚にもこの手の店が増えておいしい讃岐うどんが身近になりましたが、この値段の安さはかなわないようです。 人件費の違いが大きいかな? |
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プロフィール
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TARA-1
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63
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性別:
男性
誕生日:
1961/11/30
職業:
会社員
趣味:
バイク、稲作、同窓会のお手伝い
自己紹介:
1977年春に三中卒業後もずっと地元に住み続けています。
3人の愛娘も三中卒業生です。
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