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三中1977年卒同窓会サイトのブログです。
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CAOJMSQQ.jpg今朝は八幡町の入魂式。
清児町年番見習有志として、祝を兼ねて見物に出かけました。

初の大修理により一回り大きくなった印象で、見る者を圧倒する八幡町地車。
所々に手を加えられたと思われる彫物が見受けられました。

小雨の降る中、朝5時30分、セブンイレブン前を出発して、弥栄神社へ。
青年団どうしが交流させていただいているため、曳き手には多数の清児青年団の顔ぶれが見えます。
一番の見所である宮入の遣り回しもさることながら、圧巻は宮出の遣り回し。
思わず声が出るほど、痺れました!ええもん見せていただきました。

その後、春木各町と花を交わしながらラパーク前周回コースへ。
ラパーク前を2回見せていただいて、我々は7時30分頃、春木を後にしました。

それにしても凄い数のギャラリーでした。
あいにくの空模様にも関わらず、曳行コースを見渡すと、延々と人・人・人、間違いなく、祭本曳きよりも多かったです。
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三中校区の祭礼を統括する木島・西葛地車祭礼運営委員会という組織があります。
木積、馬場、水間、三ツ松、森、名越、清児の7町から選任された満48歳・49歳の各町委員が集まって、祭礼に関する警察署の曳行許可や傷害保険、7町パレードの運営に関する調整を行います。

私たちの年代も今年から2年間、この役に当たります。
これを契機に、昨夜、7町運営委員を中心とした祭礼に携わる同級生15名が集まり、親睦会を開催しました。
(地車を所有していない各町同級生のみなさんには申し訳ございません)

今年の当番町は私ども清児で、1学年上のFさんが運営委員長を務めていらっしゃいます。
そして、来年の当番町が森、おそらくは次期運営委員長は同級生のMくん?
来年の祭礼に向けた準備を円滑に実施し、先輩委員方の意思を引き継いで地元7町のみなさんに喜んでいただけるパレードを実施できるよう、Mくんを中心に、私たち同級生が一致団結して取り組むことを全員で確認しました。

4時間近い会合になりましたが、地元の祭りに関しては各々特に熱い想いがあり、内容の濃い親睦会ができたことを嬉しく思います。
来年の祭りが終わった後、「ええ祭りやった。」と昨夜みたいに全員が笑顔の飲み会ができることを願ってやみません。
CA4DLOE8.jpg今日は、地車を小屋から出して鉦・太鼓を叩き、こどもたちに地車の絵を描いてもらうというイベントが開催されました。
森町でも同様の催しを行っていると聞きます。

昨年はこどもの日に地車を出して、鳴り物体験のほか、餅をついたり、豚汁を振る舞ったりでしたが、今年は少し趣が変わりました。

こどもたちの力作は、盆踊りの際に展示される予定だそうです。
P1060835.JPG今年のGWは特にこれといった予定はなかったものの、近隣の近しい方が立て続けに他界され、4日連続で通夜・葬儀。
思いもしなかった御不幸続きで、未だその現実を受け入れる気持の整理がついていません。

気分転換というわけでもないですが、昨夜急に思い立ち、今日5月5日のこどもの日、妻と2人で和歌山県の友ケ島へ行ってきました。
連休で交通渋滞が予想されるので、バイクでタンデムで加太港までと考えていましたが、あいにく朝から小雨模様。やむなく車で行きました。
自宅から加太港まで車で約60分、そこから船で約20分で友ケ島へ到着です。

思い起こせば32年前、三中を卒業した高校1年生の夏休み。某文科系クラブ活動の一環としてこの地でキャンプして以来の訪問です。
島のあちこちに明治時代に築かれた煉瓦造りの旧日本軍砲台跡(写真)が残っています。
日本以外のアジア諸国が次々と西欧強国に植民地化されていくのに明日は我が身と大きな危機感を抱き、国を挙げて国防と海軍強化に進んでいった時代です。
紀淡海峡の要であるこの無人島に大規模な要塞を築いて、外敵から大阪湾を守っていたのですね。
丸1日傘が手放せない天気でしたが、3時間以上島内の山道を散策し、ノスタルジックな雰囲気を堪能しました。

残念なことに、波打ち際だけでなく断崖絶壁や高台など島内の至る所におびただしいほどのゴミが打ち上げられていました。
時計回りの大阪湾の海流に乗って、瀬戸内に注ぐ河川とともに流されてきたゴミのようです。
内陸遠く奈良県でポイ捨てされたゴミも大和川から・・・、もちろん貝塚市を縦断する近木川も例外ではありません。

私たちのようなハイキング客を始め、磯遊びの親子連れ、釣り客にキャンパー、サイクリストなど、大勢の観光客で賑わい、帰りの船では積み残し客が出る始末。
雨風の中、次の船が来るまで1時間待ち、お気の毒さまです。

心配したとおり、大阪方面に向かう帰り道は大渋滞。1時間経っても数百メートルしか進みません。
思い切っていったん和歌山市内へ南下し、往路の倍以上の時間をかけ阪和高速経由で無事帰宅しました。


ead84d86.jpeg1ヶ月前の入院中、定期購読している2輪のレース雑誌を見ていると、久しぶりに生レースを観たくなり、本日、嫁に付き合ってもらって、リニューアルされた鈴鹿サーキットのオープニングレースとなる2&4を観戦に行ってきました。
レース観戦は6年ぶりで、2輪のJSB1000(写真上段)と四輪のSUPERGT(写真中段)です。
少し強めの風がさわやかで、絶好のレース日和でした。

JSB1000は、F.C.C.TSRホンダからスポット参戦の秋吉耕佑がポールツーフィニッシュの独走優勝。
0d7b6af2.jpegSUPERGTは、ZENTセルモSC430の立川祐路/リチャード・ライアン組が終盤でまさかの逆転優勝。特に最後の数周は、クラッシュが多発してペースカーが入り、イエローフラッグが出て全周追い越し禁止のままチェッカーフラッグという前代未聞の結末でした。
尻すぼみの終わり方でしたが、やっぱ生レース観戦はええですね。テレビとは別もんです。

1981年に初めて鈴鹿で4耐・8耐を観戦して以来、2輪・4輪を問わず毎年のようにいろんなカテゴリーのレースを観てきたのですが、2003年の2輪WGPd7fd70e8.jpeg日本ラウンドを最後に、足が遠のいていました。あのレースで加藤大治郎選手がシケイン(カシオトライアングル)でオーバーランで大転倒を喫し帰らぬ人となってから、WGPは鈴鹿ではなく栃木県のツインリンクもてぎで開催されるようになり、自然と私の足も遠のいてしまってました。

今日の帰り道、そのカシオトライアングル横のフェンスに目をやると、多数の花束に飲み物や写真が供えられていました(写真下段)。
あれから丸6年も経つのに・・・。2001年世界選手権GP250クラスのシリーズチャンピオンを獲得するなど、世界でもトップクラスのライダーでMotoGPクラスでも将来を期待されていたライダーでしたが、ほんまに多くのファンに愛されていたことを改めて実感しました。
できることならこの場所に大ちゃんを偲ぶモニュメントができたらええのになあ・・・。


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63
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男性
誕生日:
1961/11/30
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会社員
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バイク、稲作、同窓会のお手伝い
自己紹介:
1977年春に三中卒業後もずっと地元に住み続けています。
3人の愛娘も三中卒業生です。
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